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コロナワクチン供給と特許

5月5日付けのニュースによれば、米国政府(USTR-The Office of the United States Trade Representative)が「COVID-19のワクチンの国際的供給を増やすためにワクチンに関する特許権の一時的放棄を支持する」旨の声明を出した。これに対し、WHOは米国決定を称賛したが、EUは特許権放棄に反対している。

 5月5日付けのニュースによれば、米国政府(USTR-The Office of the United States Trade Representative)が「COVID-19のワクチンの国際的供給を増やすためにワクチンに関する特許権の一時的放棄を支持する」旨の声明を出した。これに対し、WHOは米国決定を称賛したが、EUは特許権放棄に反対している。特に、ドイツは「ワクチン製造を妨げているのは生産能力と高い品質水準であって、特許の問題ではない」として6日に反対声明を出している。フランスは当初、米国を支持したが、その後、「ワクチン供給において特許問題は優先順位は高くはない」と表明し、やや逡巡が見られる。 

一方、インド、南アフリカはWTOにおいてこの問題に関し特許権の権利範囲外とすることを求めていた旨の報道がある。また、製薬業界は一様に「特許権の一時的放棄」には反対している。

この議論の構図は、かつて私がWIPOにおいて目にしたものと同様である。WIPOにおいて世界の特許問題を議論する場としてSCP(Standing Committee of Patents)というフォーラムがある。このフォーラムは、「特許に関する専門的実務者による会合」であり、かつてPLT (Patent Law Treaty・特許法条約)はこのフォーラムでの議論を経て成立した。その後、特許法の実体的要件(新規性、進歩性、新規性喪失の例外等)に関する特許ハーモナイゼーションの議論を行っていたが、先進国と開発途上国との間の意見の相違から、「実体的特許ハーモナイゼーション」の議論の方向性を捨て、新たな視点から国際的特許問題を議論する場となった。その議題の中に「特許と健康」という、一見、特許実務家にとってみれば、全く関連性がないのではないか、と思われる議題が途上国側から2011年に提案されその後、議題として正式に成立した。 

これは、当時、途上国へのエイズ関連薬供給が充分ではない、という途上国側の国家保健面からの課題意識があったことと、途上国側での「先進国間での議論による高いハードルでの特許制度の調和は困る」という政治的視点もあったことから「反特許ハーモナイゼーション」の動きとなったものである。この点においては別に詳細に論ずる。

「特許と健康」問題に関しては、毎回、様々な問題提起及び議論がされ、WIPO事務局により様々な、セミナー、レクチャーがSCP内においてされた。 

私は、当時、日本の一民間団体の代表として複数回に亘りこの時期のSCPに出席させていただいたものであるが、印象深いのは、当時のWHO事務総長であるマーガレット・チャン氏を招いてのセミナーにおいて、WHOの立場から「特許と健康」についてのスピーチをしていただいたことである。その中でチャン氏は「我々は特許が薬品供給を阻害する、とは考えていないし、また、そのように考えるべきではない。特許制度と健康問題とは別個の問題である」旨述べており、現在の、コロナワクチン供給と特許問題に関するWHOの立場とは異なる。

また、別のセミナーでのパネルディスカッションでは、パネラーとして当時の米国ファイザー社の部長を招き、意見を求めることも行われたが、部長は「新薬品の開発にあたっては、薬品製造以前の研究開発に相当の時間を要し、多額の先行投資を行って薬品製造を行っている。薬品完成後に特許の効力が停止され、薬品の販売の利益を得られない、とすれば薬品会社としての事業は成立しない」旨を強調しており、意見は途上国側のパネラーとは平行線のままであった。 

思うに、「医薬品供給と特許」の問題に関しては、今回のCOVID-19ワクチンの問題も含め、基本的に、政治的、感情論的観点での議論がなされている可能性がある。即ち、「特許の存在が本当に薬品供給を阻害しているのか。阻害している事実があるとすればどのような場面で阻害しているのか。そのことにより具体的にどのような被害が途上国に発生しているのか」という基本的な課題の抽出が明確にされていないように思われる。私の知る限り、途上国側関係者からこの点に関する実証的、具体的な主張、立証を聞いた記憶はない。

新聞報道にもあるように、医薬品特許の特許明細書を当業者が読んでも、すぐには医薬品製造は不可能であり、かつ、仮に、特許の効力を制限する「強制実施権」が設定されたとしても、非常に高度な医薬品であれば製造設備、研究者、供給体制が完備しなければ、迅速な薬品供給にはつながらない。 

特許の効力は排他権であることから絶大であり、時として国際社会への影響は非常に大きいが、この問題こそ、感情的、政治的な視点を排し、真に世界の人々の幸福、健康のために実証主義的、建設的な議論がされるべきである。 

以上

By Takaaki Kimura

Managing Partner and Patent Attorney with over thirty-five years of IP law experience.